ペットの話ではありませんが、飼い主の不安は簡単に伝わってしまいますので、その観点からは役立つ知識になりえます。
1. 社会は複雑すぎる──全体主義的理解の限界
現代社会を理解しようとすると、政治・経済・税制・外交・思想など、膨大な領域にまたがる。
それぞれが関連し、バランスが変化し、政治家、学者、経済界は自己主張を繰り返す。
あっちが立てばこっちが立たない。
この構造を“素人が全体から理解する”のは、ほぼ不可能だ。
2. では逆から考えてみよう──社会を最小単位から辿る
代わりに、「最も小さな社会」から出発する方法で見てみよう。
それは国家でも制度でもない──家、親子、男女ペア、血縁である。
なぜなら私たちは、社会の一員である前に、家族の一員として生まれるからだ。
家は社会の最小構成単位である。
家族の理解がままならず、国の不平不満を並べること。
少しおかしいと気づくかもしれない。
3. 家族という社会の原型──解決だけでなく許容で動く構造
家族とは不思議な構造だ。
正しいかどうかよりも、「許せるかどうか」で物事が進む。
父が、家族に内緒のヘソクリで、高級バイクを買ったとする。
怒るけれど最終的には許すだろう。
そこには、「別に家族なんだから良いけどさ」、「もう買っちゃったんだから楽しんでよ」と、ルールや規制では扱いきれない、関係のしなやかさがある。
4. 「小遣いを増やす」という制度化──感情から構造へ
バイク問題の解決として、家族で話し合って父の小遣いを増やす。
出どころの不透明なヘソクリは良くないが、正規の小遣いならどう使おうが問題はない。
支出は透明化され、家族の不満も、本人の後ろめたさは消える。
これはまさに、対立構造→制度的合意への進化だ。
家族は政治の原型でもある。
5. 社会の問題も家族に置き換えて考えてみる
空母は侵略戦争を放棄した日本には不釣り合いで、これはインドア家族がキャンピングカーを買うようなもの。
裏金問題は、父が家計を無視して勝手にバイクを買ったようなもの。
年金制度は、「老後は子がなんとかしてくれる」と無計画に信じる親の姿だ。
実は、社会の問題の多くは、家族問題の拡大版だったりする。
6. シンガポールと高給の話──透明性が信頼をつくる
シンガポールの政治は世界一クリーンと言われているが、その理由はとてもシンプルだ。
首相や官僚の報酬を極めて高く設定していることによる。
高報酬=十分なお小遣いであり、裏金作りの動機を消し去っている。
クリーンは透明性の高さと言い換えて問題ない。
家族も同じ。
過度なプライバシーが、不透明な領域を拡大し、お互いが勘ぐり合うようになる。
そこに不信・隠蔽・摩擦が生まれる。
ほとんどの場合で、隠し事は少ないほど良いし、みなの幸せをもたらす。
7. 結論──社会の理解は、血縁の構造から再起動される
社会とは、解決の連続ではない。
意見を対立させて、勝ち負けを決めることに、本当の意味はない。
勝っても負けても仲間のノーサイド、頂いたら返すのギブアンドテイク、だれかに損を押し付けないウィンアンドウィン。
人が多くなれば真の平等などありえない。
「自分の我慢が誰かの幸せに通じている」「先にあなたからどうぞ」という優しい心の中で、構造が少しずつ整えられていく。
一人きりの世界には幸せは発生せず、人との関係の中でしか感じることができない。
独占すればそこで途切れ、循環させれば永遠に続く。
国家のひずみも、制度の破綻も、
家族単位の未解決問題とそう変わらない気がするし、構造的には一致することばかりだ。
だからこそ、
社会を理解したいなら、まずは家族の構造を見つめ直すことだ。
許しとは何か。信頼とは何か。自由とは何か。隠し事とプライバシーの境目はどこか。
もしネットもSNSもなくなって、部屋の壁がもっと薄くなって、私が食卓でさっきの質問をしたとする。
たぶん父はこう言う。
「どうした、頭でも打ったか?早く食べて風呂入って寝ろ」
8. 結語──弁証法という希望
人間が二人以上集まれば、そこに意見の相違が生まれるのは当然だ。
三人いれば偏りができ、不満が生まれるのも自然である。
だからこそ、必要なのは、何でもプライバシーを持ち出し、関係を遮断しないことだ。
そして自分の正義を伝えたら、相手の正義にも耳を傾ける。
意見が対立したまま終わるのではなく、
どうすれば「みなが納得できる形」に整えられるかを模索する──
意見Aと意見Bから、意見Cを生み出すということ。
専門的に言えば、これは弁証法と呼ばれる。
矛盾や対立を否定せず、それらを通じて次の秩序へ進む思考法だ。
いやらしい誘導とも違う。
北風と太陽の話に、第三の選択肢「高原の気持ちいい風」を導入するようなニュアンスと言えば伝わるだろうか。
日本において「首相や国会議員の報酬を増やしてやる」なんてアイデアは即却下のがオチだが、実は考え方としてはおもしろい。
弁証法とは、明日をより良くするための、未来志向の論法である。
私はこの考え方が好きだし、家族を、社会を、少しでも幸せな方向へ導く手法として、広く知られるようになってほしいと願っている。