「犬は肉食寄りの雑食」は、誤りだろう

「犬は肉食寄りの雑食」——この言葉は、いまや常識のように語られている。しかしこの“常識”がどこから来て、どれほどの根拠を持つのか、真剣に検証されたことは意外と少ない。

犬が人と暮らし始めたのは、およそ3万年前とも言われる。当時の人間の生活は極めて過酷で、飢餓が日常だったはずだ。食糧不足による死と隣り合わせで生きていた人間が、命をつなぐための貴重な肉を犬に分け与えるとは、とても考えられない。

その後、縄文、弥生、古墳、奈良、平安と日本の文化は移ろいながらも、基本的な食生活は植物性中心へと移行していく。ヒエ、アワ、米、豆、根菜、野菜——それらが人々の主食であり、犬も人間の残飯を食べて生き延びてきた。

中世から近世にかけても状況は大きく変わらない。江戸時代、武士や町人の食事もほぼ植物性食品で占められていた。明治以降になってようやく肉食文化が広がるが、それでも家庭犬に与えられたのは日々の食べ残しだ。「味噌汁かけごはん」はまだ上等な部類で、実際にはおから、ぬか漬けの残り、野菜の茎や葉あたりが主だったと考えられる。

昭和になっても、やはり犬に肉を与えるような文化は一般的ではなかった。家族の食卓に肉が出たとしても、それを犬に与えようとすれば、親に叱られる——それが当時の常識的な感覚である。

「犬は昔から肉を食べていた」という話には、歴史的裏付けがほとんどなく、非現実的で、非科学的な論説だと言っても過言ではない。それでも現在、多くの人がそのイメージを抱いているのは、平成期以降のペットフード業界の動きと無関係ではない。

きっかけは“カンガルー肉ブーム”だった。「犬はオオカミの子孫であり、だから肉が最も適している」——そんなコピーが飼い主の心をとらえた。それは歴史を省略した物語ではあったが、もっともらしく響き、次第に鹿肉ブームやジビエ信仰へと拡大していった。

しかし、オオカミだったという過去が、現代の犬にとっての“最適な食事”を保証するわけではない。3万年という時間は、適応の歴史であり、犬は消化酵素、腸内細菌、行動パターンさえも変化させてきた。それを無視して「肉=本来」とする論理は、短絡的であり、むしろ危うい。

肉が悪いわけではない。ただし、「肉が多いほど良い」という思い込みは、犬の体調を崩す要因にもなりうる。腸内環境の悪化、慢性炎症、アレルギー症状、さらには行動異常——それらが“過剰な肉信仰”と無関係とは言い切れない。

植物性食品は、確かにアミノ酸スコアで見れば“劣る”。だが、それは栄養の一側面にすぎない。食物繊維、抗酸化物質、プレバイオティクス——犬にとっても有益な成分が、そこには豊富に含まれている。

ここでは詳しく触れないが、腸内細菌によるタンパク質合成は、現代人が見落としている重要な視点だ。また、犬はかつて糞食を常としていたと推測される。そもそも犬の祖先が本当にオオカミだったのかという点すら疑わしい。飢餓と隣り合わせの時代に、全長2メートルにもなる肉食獣を人が養えたのか。ロシアのキツネ実験などからも、別ルートの家畜化は示唆されている。

最適な食事とは、祖先の模倣ではなく、「今の環境と身体に合った適応の選択」である。主人たる人の食生活に合わせなければ生きていけなかった犬。その本当の歴史に目を向けた者だけが、真実にたどり着くことができる。得た知識をもとにすれば、現代の犬の健康を、より的確に管理できるはずだ。

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