犬のオオカミ祖先説を揺るがすロシアの研究

犬の起源については、「オオカミが人に懐き、長い年月をかけて家畜化された」という定説が流布している。しかしこの説には、いくつかの構造的な欠陥がある。まず、オオカミの生物的性質──体重35〜45kg(最大50kg)、高い咬合力、群れでの連携性──を考慮すれば、縄も囲いもない時代の人間がこれを集落に迎え入れるのは危険すぎる。子どもはもちろん、大人すら襲われる可能性が高く、仮に拘束しても夜に遠吠えで群れを呼ばれれば、集落が壊滅するリスクすらある。定説はこの点を説明していない。

この構造的矛盾に対して、1959年からロシアで行われた「家畜化キツネ実験」は補完的な意味を持つ。遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフらが行ったこの実験では、シベリア銀ギツネの中から「人間に対して攻撃性の低い個体」だけを選抜し、交配を繰り返した。その結果、わずか6〜10世代(約20〜30年)で行動的変化が観察され、20世代以降で形態・内分泌・神経系にも“犬的特徴”が現れた。具体的には、尻尾を振る、人の声に反応する、垂れ耳、丸顔、斑毛、さらにはストレスホルモンの低下まで確認された。これは「性質の選抜が構造に波及する」ことを明確に示している。

この結果は、犬とは長期的進化の産物ではなく、人間の関心と行動によって数十年で再構築可能な“社会的性質”であることを示唆している。つまり、犬は「オオカミの子孫」ではなく、「犬的な性質を持つ存在を人が求め、作った」可能性がある。キツネは軽量(4〜7kg)、単独行動型で、柔軟な社会性を持ち、人間にとって扱いやすい。初期段階ではキツネ型のほうが、共生相手として合理的だったと考えられる。

とはいえ、キツネ型では古代社会における狩猟や警護、軍事的用途には不十分である。だがこれは、犬の歴史が単一の起源を持たず、機能に応じて再選抜・再設計されてきた構造体であることを示す。共感性や祭祀性を持つキツネ型が初期に選ばれ、後に実用性や闘争性を強化する過程で、大型・警戒型の性質をもつオオカミが交配候補となった可能性は否定できない。

このとき重要になるのが、**原始人の交配に対する“経験的遺伝理解”**である。彼らは遺伝子という概念を知らなくても、毛色・性格・大きさが親に似ることは観察していた。つまり、犬は自然発生ではなく、**人間による選抜・交配・模倣によって作られた“人工的構成体”**だった可能性がある。

ところが、犬とオオカミの遺伝子の類似性(約98.8〜99.9%)を根拠に、犬がオオカミの直接の子孫だとする説も依然として強く支持されている。しかしこの「一致率論」は、構造的には決定的証拠にならない。人とチンパンジーもDNAの約98〜99%を共有しているが、それは「遠い共通祖先を持つ」という意味であり、「人がチンパンジーの子孫」という話にはならない。同様に、犬とオオカミが遺伝的に近くとも、それは「近縁の祖先を共有している」ことを意味するに過ぎず、犬がオオカミから派生したという線形進化の証明にはならない。

さらに、人間と犬の関係性は、性質の選抜だけでなく性や霊性の投影対象でもあった可能性がある。古代において、生殖は単なる生理行為ではなく「力の継承」「霊との交信」といった意味を持っていた。オオカミとの混血児を望んだ形跡は、神話・祭祀・壁画の中に暗喩的に現れる。アヌビス、ウェアウルフ、犬頭神、半獣人──これらは、ただの象徴ではなく、「人と獣の境界を越えたい」という文化的欲望の刻印である可能性がある。

したがって、犬とは単なる動物ではなく、人間の欲望と恐れ、力と共感、秩序と逸脱の交差点に現れた存在である。

それは生物学的な進化の結果ではなく、**人間の意志と選択によって“関係として設計された器”**であり、

キツネもオオカミも、その素材に過ぎなかったのかもしれない。

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