はじめに:
がんは長らく専門家の領域とされ、一般の人間が手を出すにはあまりに複雑で困難な問題と考えられてきた。また、抗がん治療は「科学的」とされる一方で、食事・心構え・セルフケアなどの取り組みは「非科学的」と一括りに否定されがちである。しかし現実には、そうした非科学的と見なされている領域において、がんを克服する事例も確かに存在する。本稿は、これらの“例外”を単なる偶然や迷信とせず、構造的な観点から解釈し、それをより広く適用可能な仮説として提示する試みである。
要旨: 本稿では、がん細胞を「自己を忘れ、関係性を喪失した存在」として捉える視点を提示する。この視点に立脚し、がんが特定の心理的、環境的条件下で自己修正(アポトーシス=細胞の尊厳死)へと至る可能性について、既知の観察例と生物学的構造に照らして論じる。生物的個体の行動と人間の心理構造を重ね、がんという現象を身体の中の“もう一人の自分”、つまり制御を離れた細胞の比喩として再解釈する試みである。
背景: がん細胞が最終的に宿主の命を奪う理由は、単に細胞が増えすぎるからではない。がんが全身に散在し、組織単位で腫瘍が確認できなくても、各所で微細な破壊活動を行うことがある。特に悪液質(カヘキシア)と呼ばれる状態では、筋肉量や体重が急激に減少し、栄養代謝が破綻することで全身の生命維持が困難になる。
また、実際に多いのは、がんの進行や治療の過程で、抗がん剤治療が免疫細胞そのものに破壊的な影響を与え、免疫系の機能を直接的に抑制し、感染症(例:肺炎)に対する抵抗力を著しく低下させたり、腎臓などの重要臓器を破壊する。これにより、がんそのものではなく併発する病態で死亡するケースも多い。このような医原的な要因は制度上では語られにくいが、がん死の現実的な構造の一部と考えられる。がん細胞が宿主を死に至らしめる本質は、全体(宿主)との関係性を見失い、自己保存的な拡大を続けた結果、システム全体の崩壊を招くという点にある。
がんは遺伝子変異を基盤とした疾患であり、通常の細胞制御から逸脱した「異常細胞」と定義される。一方で、近年の研究ではがん細胞が環境圧に適応し、転移・免疫逃避・幹細胞化などの“自己保存的”行動を取ることが明らかになってきた。これらの現象は、生物の本能的反応と類似しており、より広い意味での“反応的な振る舞い”に近い。
仮説: 本稿では、がん細胞を「自己の制御から離れた存在」として捉え、外的圧力(治療、ストレス)によってかえって仲間を増やし、より強固な生存戦略をとるという観察例に着目する。逆に、がんを受け入れ、自らの一部として認めたとき、がん細胞が本来持っていた“自己修正機構”(アポトーシス)を再び発動させる可能性があると仮定する。この“関係性の回復”は、がん細胞が全体構造への帰属を再獲得する契機となり得る。
簡単なメカニズム: ストレスや治療は、がん細胞が自らの成長のために引き込んだ新生血管(特に毛細血管)の血流量を低下させ、局所的な低酸素状態を生む。この状態はがん細胞にとって“プレッシャー”となり、場合によっては転移性や幹細胞様性を促進させる可能性がある。一方で、血管は単なる物理的補給路ではなく、正常細胞との“通信路”にもなり得る。血流が正常細胞からのシグナルを届け、がん細胞が“自己の異常性”を認知するきっかけとなる可能性もある。
このようなプレッシャー環境下で、がん細胞は接着力を低下させ、集団から離脱するような行動を取ることがある。これは「上皮間葉転換(epithelial-mesenchymal transition, EMT)」と呼ばれ、がん細胞が元の接着性を失って移動能力を獲得し、生き延びるために新しい居場所=転移先を探す行動に変わる現象である。例えるならば、それは兵糧攻めにより維持困難となった居城を放棄し、生き延びるために離散して、遠方に新たな拠点を築こうとする行動にも似ている。
事例と一致点: 治療を拒否し、心理的にがんを受け入れたがんサバイバーの中には、自然寛解に至った例が複数報告されている。多くの場合、彼らはがんと戦うことをやめ、むしろ“がんも自分の一部”であると受け入れ、それを通じて何か大切なことに気づいたと語る。がんを作り出してしまった自分の生き方や状態に対する“誤り”を認め、それを教えてくれたがんに感謝するという態度が一部の共通点として見られる。これらは制度的医学では“異常例”と処理されるが、構造的には“自己同一性の回復”──すなわち、がん細胞が本来属していた組織全体との関係性や同期性を取り戻すような状態──が誘導され、その結果として“出力変化”、つまり細胞の振る舞いや代謝、さらには生存戦略自体が変化したと捉えることができる。また、がん細胞のEMT過程や接着性喪失は“集団との断絶”と読め、それが回復した場合、“自己終了”──すなわち細胞自身が自らの存在を終えるアポトーシス(細胞の尊厳死)のようなプロセス──に向かう可能性がある。
結論: がん細胞の行動は、外部からの強制的制御よりも、内部からの関係性の再構築と構造的な自己修正によって変容する可能性がある。この仮説は、単なる心理論ではなく、生物構造の一貫した延長線上にある。今後はこの視点を補強する定量的研究と、構造全体に目を向けた統合的理解が求められる。科学の枠外にあると見なされたセルフケアの事例に対し、科学的構造を持って意味づけを行うことで、“個人の力ではがんに立ち向かえない”という前提そのものを問い直す道が開かれるかもしれない。