「ペットは表情や声のトーンから、飼い主の気持ちを読み取っている」──
この認識は一般にも専門家にも広く浸透しており、しつけや行動学、ペットとの接し方にもその前提が組み込まれている。
しかし本稿では、そうした常識を静かに疑う。私の考える真実は、「犬は体臭の微妙な変化を嗅ぎ分け、飼い主の感情を読み取っている」という点にある。
確かに、飼い主の表情や声のトーンも参照しているだろう。だがそれらは、おそらく補助的にすぎない。その理由は明確である。私たちはペットに対して、頻繁に嘘をつくからだ。
薬を混ぜたごはんに「おいしいよ」と声をかける。散歩に誘って、病院へ向かう。こうした経験を通して、犬は視覚や聴覚から得られる情報を無条件に信じないよう学んでいる。
その点、体臭には嘘がない。
人間が心理的ストレスを受けると、交感神経が活性化し、汗腺からの分泌物の組成が変わる。ノルアドレナリンやコルチゾールといったホルモンが分泌され、それに伴って体臭も変化する。
この変化は本人にとっては無自覚でありながら、ペットには明確な“においの信号”として届く。とくに犬の嗅覚は、人間の数万~1億倍の感度を持つとされており、体臭や呼気のわずかな違いを識別する能力を持つ。
京都大学の研究でも、犬が人間の感情に対応した体臭を識別し、それに応じた行動変化を示すことが実験的に確認されている。がん探知犬や警察犬の働きも、犬の嗅覚が桁違いに鋭敏である証拠といえる。
おそらく、散歩だと言って病院に向かうとき、犬はすでにそれを知っている。
嫌がって抵抗する個体もあれば、飼い主を困らせまいと、知っていながら黙ってついていく個体もいるだろう。
さらに、においは残る。これは、視覚や聴覚に頼る人間と、嗅覚中心のペットとの認知の大きな違いである。
においは、過去の感情変化──たとえば「不安→安堵」のような心の移り変わりすら反映する可能性がある。
飼い主の不安は、ペットに見抜かれている。
その空気が、犬や猫の体調にまで影響することもある。
ペットの気持ちを本当に理解したいのであれば、飼い主自身の状態を見つめ直すことが、出発点である。